佐藤輝明は無名高校で無名選手だった!運命の分かれ道は高校2年生!

佐藤輝明 高校スポーツ

佐藤輝明選手ですが、

  • スイングが迫力あって人並みはずれている
  • あんなパワーヒッター他になかなかいない

なんて言われ注目されるとともに期待が高まっていますね。

中には特別阪神のファンではないという方からの注目も集めている佐藤輝明選手です。

では今回はそんな佐藤輝明選手が高校時代から活躍していたのでしょうか?

これだけ活躍されてたら、高校時代も活躍されてそうですが、実は無名だったという話も。

今回は佐藤輝明選手の高校時代についてご紹介します。

佐藤輝明は高校時代から活躍してた?

現在では大注目を浴びている佐藤輝明選手ですが、佐藤輝明選手が高校時代の時から活躍していたかどうかについてですが、実は高校時代から活躍していたわけではなかったというのが答えです。

また、特にその頃から注目されていたというわけでもないのです。

佐藤輝明選手は元々プロになりたい!と意識していたわけではなかったとのことです。

具体的には高校2年になったあとでプロになりたいという意欲が高まったようです。

佐藤輝明選手が進学した高校についてですが、兵庫県西宮市にある仁川学院高校とのことです。

佐藤輝明選手は一般受験で受けたと言われています。

仁川学院高校は野球が強いというよりはどちらかというと進学校です。

とはいえ仁川学院の野球部はそこそこ強いとのことなのですが、甲子園の出場の経験はないとのことなのです。

なのでもちろん佐藤輝明選手も高校のときは甲子園という場所へ出場することはなかったということです。

仁川学院高等学校の野球部に関しては、それほど実績というのはなくプロ野球選手になった最初の選手は佐藤輝明選手とのことです。

では、佐藤輝明選手がこちらの高校に行くことにしたのにはどのようなモチベーション(動機)があったのでしょう?

佐藤輝明選手がなぜ仁川学院高校に進学したのかというと、理由としては佐藤輝明選手の家から仁川学院高校までの通学距離が短かったからとのことです。

佐藤輝明選手が通っていた中学が西宮市の西宮市立甲陵中学校なのですが、そこから仁川学院高校までの距離は時間にすると約10分程の距離にあります。

確かに高校も家から近いほうが便利だと思うのですが、野球という部分が高校を選ぶ選択肢にならなかったことに驚きますね。

仁川学院高校の野球部では1年生のときからベンチに入ります。

そして佐藤輝明選手が高校2年生になる頃には4番も任されていたとのことです。

中でも2年時の夏の大会にて、村野工業戦(3回戦)で大活躍した佐藤輝明選手。

さらに県大会で先輩たちとともに4回戦まで勝ち進みます。

村野工業高校について少しご紹介しますと、春2回と夏の1回、過去合計3回甲子園出場を誇り県内でも古豪とのことです。

OB では広島東洋カープの野間峻祥選手などがいるとのことです。

そのような工業高校を相手にして5打数5安打2打点という暴れっぷりをみせた佐藤輝明選手。

既にこの頃から打棒の腕にはかなりのインパクトがあったようですね。

そして秋の大会からキャッチャーというポジションを任されチームを支えることとなった佐藤輝明選手でした。

秋の大会でのブロック予選に関しては2回戦にて関西学院高校に4ー2で大勝利を果たします。

その後続いた報徳学園との戦いでは5−3で残念ながら敗退となってしまいます。

ですがそんな強豪校相手にもなかなか互角に戦っています。

そんな佐藤輝明選手は高校時代から既にその名が知られていたのでしょうか?

高校では無名選手だった?

佐藤輝明選手が、高校時代甲子園に出場していたというような高校時代ではなかったということがわかりましたね。

甲子園という場を知らずにここまで注目を浴びるようになったということですからそれだけすごい実力をお持ちなのですね。

というよりも一個の佐藤輝明選手の武器というものを極めた結果なのかもしれないと個人的には思います。

同時に甲子園出場というものがすべてということではないということも感じさせました。

とはいえ佐藤輝明選手は高校時代では甲子園への出場がなかったことも含めて大きな活躍があったわけではなかったのでその名が知られていたわけではなく高校時代ではまだ無名選手でした。

ですが佐藤輝明選手にとって大きなターニングポイントとなったのはこの高校時代での2年生冬~3年生の春と言われています。

一体どのように変化を遂げたのでしょう?

佐藤輝明選手が大きく変わったきっかけとしては、高校2年生の秋くらいから「野球をやるのであればプロというのをきちんと目指さないとかな?」ということで本格的にプロ野球選手を目指したい!と決意してからでしょう。

それまでは仁川学院高校を選択した理由は通学距離が短いことだったので野球一筋だったというわけではなく、もちろんプロを意識していたわけではなかったのです。

そのことがわかるもう一つのエピソードとしては、佐藤輝明選手が高校に進学する際に入部する部活動を野球かサッカーで迷ったということです。

高校に入学する前の中学時代は軟式野球部に所属していてはいたものの、よく空き時間でサッカー部のメンバーと関わったりサッカーを一緒にやっていたりしていたようです。

最終的に野球部を選択したのは元々野球をやってきていたからというのもそうですが、小学時代に対戦したことがある高取真祥さんに誘われて野球部に入部することにしたようです。

プロを意識するようになってからの佐藤輝明選手は、フィジカルトレーニングや2年生の冬くらいからはウエイトトレーニングも取り組み、多いときで週6回とかなり徹底してトレーニングに取り組み始めたのです。

その成果はしっかりと現れることとなるのです。

高校生活最後である高校3年、夏の県大会では一回戦で敗退。

11−1のコールド負けという結果だったとのことです。

やはり激戦区関西の中でも甲子園に出場したという経験のない学校であることも影響していたのではないでしょうか。

ですが佐藤輝明選手は、甲子園にいくというところではなくホームランを打つことをモチベーションにして野球に専念していたとのことです。

厳しい練習に耐え抜いた成果であることは間違いないが、そんな佐藤のモチベーションを支えたのは甲子園ではなく、『ホームラン』だった。

 佐藤自らも「まるで『ホームランの求道者』みたいな状態で毎日を過ごしていました」と以前語っていた。

Yahooニュース

この頃からは高校野球のフリーク間では注目された存在になっていた佐藤輝明選手です。

こういったわけで佐藤輝明選手は高校時代でスカウトの目にとまるということはなかったのですね。

ですが高校3年生時の夏になる前くらいに参加した近畿大学での練習で田中秀昌監督から高評価を得た佐藤輝明選手。

こちらの田中秀昌監督ですが、試合の時の佐藤輝明選手をたまたまみた時に既に佐藤輝明選手の打棒に対して「たったの少し見ただけで優秀な選手だということがわかった」ということで目を留めたようです。

これによって田中秀昌監督に導かれた佐藤輝明選手は近畿大学短期大学部に進学することとなりました。

すると練習中グラウンド外に飛び出していくホームランを連発する佐藤輝明選手。

大学においては1年の時からリーグ戦に出場し続けたとのことですので、佐藤輝明選手は大学に行き1年生という時期からすでに高校時代にはなかった活躍をし、驚異的な実力をみせていったのです。

高校時代の通算本塁打は?

高校3年春から数えてもたったの数ヶ月しか経っていないのにも関わらず、15本塁打を達成するのですが、高校通算はなんと20本塁打と急成長を遂げた佐藤輝明選手です。

佐藤輝明選手はどのようにしてこんなにも急成長を遂げることができたのでしょう?

高校1年時の佐藤輝明選手の身長なのですが177cm、そして体重は65kgで現在と比べても30kgほど軽く、スポーツ選手としては細身でした。

ですが現在の身長は187cmで体重は94kgということでまさに体格が激変しているのです。

佐藤輝明選手が高校2年生の時にプロを目指し始めたというお話をしましたが、ウエイトトレーニングの他にも佐藤輝明選手はこの頃からジムにも通い始めているのです。

そしてそのきっかけとなったのが、高取真祥さんのお父さんである高取君乙さんに誘われたことでした。

高取さん親子の方は元々ジムに通っており、佐藤輝明選手がプロを目指し始めたということでジムに行くことを誘ったとのことでした。

ジムに関しては卒業までの間で週3日~4日で練習後に通っていたとのことです。

これにより筋力や体重が増え体格が変わっただけではなく、佐藤輝明選手の打球の飛距離にも変化が現れたのです。それだけでなく足の速さも格段に上がったとのことです。

というのもこんな事があったそうです。

佐藤輝明選手が打ったボールが高校の防球ネットを超えてしまい、校舎の窓ガラスに直撃し壊れてしまったのです。

さらにこれによって佐藤輝明選手は監督から打撃練習禁止命令を受けてしまうのです。

ドラフトはどの球団から指名されてた?

2020年のドラフト会議にて

  • ソフトバンク
  • オリックスバファローズ
  • 巨人
  • 阪神タイガース

の4球団から1巡目指名を受けたとのことでした。

抽選の結果によって最終的に阪神タイガースが交渉権をゲットしました。

佐藤輝明選手の契約金ですが1億円と出来高5000万円、そして年俸が1600万円で佐藤輝明選手の背番号は8番とのことです。

佐藤輝明のプロフィール

名前佐藤輝明(さとう てるあき)
生年月日1933年3月13日(2021年の時点で22歳)
身長187cm
体重94kg
血液型B型
打球打席右投左打
ポジション三塁打、外野手
年俸1600万円(2021年の時点で)
ドラフト阪神で1位(2020年)

経歴

甲東小学校にて「甲東ブルーサンダース」で野球を開始します。

また西宮市立甲陵中学校で軟式野球部に入り、主に捕手を任されます。

仁川学院高等学校では三塁であったり外野を守りました。

近畿大学では1年生の春から中軸を任されます。

さらに3年の秋にはMVP、ベストナインに関しては2年の春から外野手で1回と三塁打で2回の3季連続で受賞します。

2018年には大学日本代表として”日米大学選手権”に出場します。

そしてオランダのハーレーム・ベースボールウイークでは優勝。

2020年秋には近畿大大学の先輩にあたる二岡智宏監督の持っている関西学生リーグ記録である13本塁打を抜いて14本塁打という新記録を放ちました。

同年ドラフト1位、阪神タイガースに入団します。

>>佐藤輝明(阪神)の母はどんな人?母が父やアスリート家族を支えてる!

佐藤輝明の高校時代まとめ

  • 佐藤輝明選手は高校時代ではまだ活躍はしておらず無名選手だった
  • 高校の時の佐藤輝明選手の通算本塁打は20本塁打
  • 2020年のドラフト会議にてソフトバンク、オリックスバファローズ、阪神タイガース、巨人の4球団から1巡目指名を受けて、抽選の結果により阪神タイガースとの契約が成立した。

高校時代では甲子園も出場せずずっと大きな活躍を見せては来なかったものの、現在多くの人から大きな評価を得ている佐藤輝明選手ですが、今後もっと華麗なホームランをみせてくれることを期待します。

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